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ギャラリー・トーク・イベント その2

7月4日から19日まで開かれた展示会「遊ぶ心 – 躍る表現」会期中の7月12日 (日) に、NPO法人きりん舎設立記念のギャラリー・トーク・イベントとして、水野哲雄(京都造形芸術大学名誉教授)・井上多枝子(バンバンアトリエ担当、NPO法人はれたりくもったりアートディレクター)両氏による講演会と座談会が開かれました。前回のブログに引き続き、今回のブログでは、後半の井上多枝子氏の講演と、その後に行われた座談会の様子についてまとめました。井上さんは、作品の写真などを掲載した印刷物を配布され、それを参照しながらという形で講演を行われました。以下はその要約です。


まず、本展示会に出展されている、滋賀県のバンバンという施設のアトリエの作家の方達についての紹介です。

入り口展示の畑名祐孝さんは、墨、クレヨンとかパステルなどを使って制作されます。画材の感触を楽しむことがいつの間にか作品になってしまうということを同時進行でやってしまわれます。だから、完成した作品自体にはあまり興味を示されません。

次に1階展示の村井崇さんですが、墨とクレヨンなどの画材を使われるますが、この方は最後に墨を使われます。下書きはするがあまりとらわれず、プロセスを大事にしており、動物のカメかヒョウを書かれることが多いが、今回は人間ぽいのを書かれています。ご本人は何を書いているかわかっています。

同じく1階展示の宮本亮さんは身体の障がいが多く、絵は描けないと考えておられたが、油絵を指でいじることで描けるようになりました。油絵は乾きがゆっくりなので扱いやすいということもあります。疲れやすい体質だけれども、油絵を描く時は2時間でも3時間でも続けておられます。

階段から2階の展示の久保田洋子さんは、ファッション雑誌などを見ながら絵を描かれます。パッと見るとびっくりするような絵ですが、すごく綺麗な女性を描いているということだそうです。

2階展示の西村真智子さんの場合は、何を描いているかは説明されませんが、迷いなく画面に向かっていって作品ができあがります。作品を見てもらうことが好きですし、展示会では自分の絵をじっくり見ていて自分の作品が好きなんだなと感じられます。

バンバンを初め、日本のいろんな施設でアトリエを設け、障がいのある方のクリエイティブなもの造りを仕事に結びつけようという活動をされているところも増えてきています。滋賀県のやまなみ工房では、箸置きや皿などの目的のはっきりしたものを考えず、障がいのある方が自分から出してくるそのままのものを作ってもらって、そのものを商品にするという形で活動されておられます。

(本展示会以外の写真を参照しながら様々な制作活動や日常の活動の紹介)
縫い物プロジェクトというのが施設の中にあって、年月をかけてシャツを作っている人もおられます。木工、塗り、絵画があったり、ソバを作ったりパスタを作ったりというような活動もあります。制作をするだけではなく、個人個人でお客さんと対応するというような活動もあります。そうすると、本人からにじみ出る優しい対応が個別にあるということに気付かされます。

ある施設は、そんな個別性をそのまま仕事にできるということを目指していて、本当に楽園のような場所です。このような施設では、作品を制作するというようなクリエイティブな仕事をされている方がおられるが、それとは別に、行動、あるいはパーフォーマンスというような作品もあります。アトリエとしての活動時間外の生活の中で、例えば、袋にいろいろなものを詰めていく、また洗濯物の山にスリッパを置いてみるなどというようなことをされる方もおられます。表現活動というのは生活そのもの、生きている中に存在していて、アトリエと名付けられている時間だけで行われているのではなく、決められた作品を作るための時間以外の日常の生活をしている中にあるということが、施設ではよくわかります。

(別のある施設の写真を紹介)
記憶だけで昔の風景を思い起こしながら描かれている作品ですが、日常的に簡単な方法で壁などに貼られていて、館内で特に高く評価される作品という感じではないが、本人の生活サイクルの中の表現活動になっていたりします。また粘土で人形などを作っている人がいて、作られたものが作品という感じではなく、無造作に貼られていたりしますが、それが不思議な存在感を持っています。展覧会に出されたりしないので外部の人が見る機会がないが、施設と共存している不思議な存在感があります。

(別の写真を紹介; 熊本県23歳の方)
施設ではないのですが、ハサミで紙を切り続けている人がおられます。髪の毛のように、とても細かく切っておられます。お母さんの判断で、一部を額に入れて飾っておかれるようになりました。他の方の賞賛の声により、保管されるようになったとのことです。障がいを持っている方の活動はあまり知られていない場合が多く、表に出にくいのですが、彼の場合は小学校の時に展覧会に展示されたことがあって知られるようになりました。

ただし、施設に通所されている人でも自宅で作品を制作されていることをスタッフがご存知ない場合も多いので、まだまだ知られていない人も多いと思われます。障がいのある人たちの制作状況は環境ひとつで左右されます。表現とはどういうことかということを、みなさんとお話ししながら考えたいなと思っていましたが、水野先生のお話しされた中にすべてあったなという感じがします。


この後、参加者全員による、自由な質疑応答などが行われました。

Q: (参加者) どのようなきっかけで始められたのですか? (切り紙の写真について)

A: (井上) 発語がないので本人からは聞けないのですが、2歳頃、祖母が与えたハサミを使って切り始めたそうです。施設ではこういう作業ができることにはあまり興味を持ってもらえていないので、お母さんはそういうギャップに戸惑われておられます。2歳からずっとハサミを離さなかったが、最近、半年ほどさわらなかったことがありました。なぜ切り紙をやらなかったのか本当の原因はわからないが、ハサミを研いでみたら再び切り紙を始めました。ご両親とも無理やりさせているわけではないのです。自発的なものを待つということも大切なのではないでしょうか。環境というものによって左右されるのかもしれないので、環境を整えることも大事なのかもしれません。

A: (水野) 何のためというわけでもなく、例えば電話しながらつい気づいたらメモ帳に何かを書いていた、というようなことがありますよね。

Q: (参加者) 髪の毛のように細くとのことだが、途中で切れないのですか?

A: (井上) 切れませんね。とても熟練されています。

Q: (参加者) 集中力なのでしょうか? 時間は一気に?

A: (井上) 時間はかかりますね。細くなると集中力も要るので時間がかかります。紙を切るということは我々もしますが、その延長線上なのかなとも思います。全く (健常者の行動と) 異質なことではないのではないでしょうか。

(参加者) よく切れるハサミで切る時に一種の快感のようなものがありますね。

Q: 布を切って絵をかいています。大人の人が対象ですが。3年ほど前に小学校4年生の校外学習で、いろんな布を用意して好きなものを作ってみなさいという学習をしました。その時に、すごく感性が豊かなものが出てきて感心しましたが、健常者と障がいのある方たちとは、感性にどういう違いがありますか?

A: (水野) 基本的には違いはないと思います。障がいのあるなしに関わらず人それぞれ得意なもの、特別なものを持っているからです。学校教育、家庭教育とか地域の教育とかいろんなところで遊んだり学ぶことがいっぱいあるはずなので、一人一人の違いを引き出すことができれば良いと思います。ですから障がい者と健常者とは、表現においては違いはないと思います。この場合、いっぱい布が用意されているという状況が、その小学生たちにフィットしたと思います。そういうものが用意されていると、スイッチがはいるしワクワクする。良い場を作られたなと思いました。

Q: (水野) この中で絵を描くのが苦手という人はどれぐらいおられますか?また、音楽が苦手という人はどれぐらいおられますか?

A: (参加者) どちらも苦手です。音楽の授業の笛の練習の時などは格好だけしてました (笑)。

Q: (スタッフ) 今のご質問は、何か裏があるのですか? (笑)

A: (水野) 苦手なことに対して、みさなんはどのように対処されるのかなと思って。私は、子供の頃からずっと泳げなかったが、あるきっかけで水と仲良くなれた。苦手を苦手と思わず向き合いましょう。

Q: 自分は絵が描けないが、芸術学という科目を選択し、頭の中で思い描いて楽しむことをしています。学生時代の仲間と京都のお寺や美術を鑑賞しています。今回、こちらの展覧会で全然違うものを見て衝撃を受け、楽しませていただきました。絵が描けないものでも絵の楽しみ方があると思います。先生みたいに冒険して、やってみたいと思います。

司会: アールブリュットというものが世の中にあるのだということを、まずいろんな人たちに知ってもらいたいというのがギャラリーとしてやって行こうとした切っ掛けです。今日もそういうことを感じていただけたら成功かなと思っています。 それからシルバーアートも面白いですね。少年アートというのがあったというのは驚きです。「発達とは」について、変化と変容というお話もありました。その時々の見る見方であるとか表現の仕方であるという風に考えると、発達という言葉にはそういう見方があるのだなと思いました。工房での作家の日常から出てくるもの、それは仕事には結びついていない行動であったりしますが、また、それでもそれが仕事になっていってる工房があったりもします。外部とのつながりがどういう切っ掛けでできるかということもあります。ハサミひとつ用意するというようなことを含めて、環境を整えるということが、創造活動の切っ掛けになるような気がしました。


最後に、塩見の方からきりん舎の将来の展望について述べられました。

塩見: ひとつは、持続的にギャラリーの活動をやって行きたい。
一部ではあるが作家に触れてくると、表現活動を行う場、アトリエを自分たちも作ってみたいなという気がします。できるだけ近いうちにアトリエを開きたいという野心を持っています。あまり肩を張ってやらない方が良いというアドバイスももらって、よりやる気が湧いてきました。


なお、本ブログの内容は、公開後、修正・加筆があり得ますので了承ください。
文責: 岸田良朗 (本ブログ編集担当)

 

 

ギャラリー・トーク・イベント その1

7月4日から19日まで開かれた展示会「遊ぶ心 – 躍る表現」会期中の7月12日 (日) に、NPO法人きりん舎設立記念のギャラリー・トーク・イベントとして、水野哲雄(京都造形芸術大学名誉教授)・井上多枝子(バンバンアトリエ担当、NPO法人はれたりくもったりアートディレクター)両氏による講演会と座談会が開かれました。NPO理事長の塩見篤史氏による挨拶の後、まず初めに、水野哲雄氏の講演が行なわれました。水野氏は、幼い頃、ひとりで自然と触れ合った体験談などを交えながら、芸術と、「表し」と「現れ」という語をキーワードに講演を行なわれました。また、京都造形芸術大学のこども芸術学科のフィールドワークの2011年度から3年間の記録である冊子「福祉 × アートの出会い」が参加者に配布されました。

以下に講演の概要を記します。


まずは、NPO法人きりん舎の設立、おめでとうございます。

今回の「遊ぶ心 – 踊る表現」というタイトルはすごくいいなと思います。

芸大で三十数年教鞭をとって来ましたが、芸大で教えることを突き詰めると、「お前らしく生きろ」ということになります。人生ですからいろんなことがあると思うんですけど、願わくばそれを希望に変える、面白くする、つまらないことでも、楽しむ術はあるんじゃないかと。要するに、どんな中にあっても人が生きるということと表現行為は繋がっているなと思うし、繋がっていて欲しいと思っています。

芸術教育は百花繚乱で、ほぼ何でも有りの状態になっていて、作品を作る行為については教えてきたが、「芸術って何だろう」とか「なぜ」という問いを、どこか置き忘れてきたような気がしています。

実は、ぼくの原点は幼い頃の川遊びや広場や竹林などの自然の中での一人遊びであったと思います。

今、芸術は色んなジャンルがあって、何でも有りになってきた故に、逆に根っこが見えなくなってきた。そういう根っこを問うような学科として、こども芸術学科が生まれました。そしてそれは、表現するってどういうことかということと、自分の中で向き合う大きなきっかけとなりました。

また、アートを通じて、子供達、障がい者、お年寄り、また暮らしを背負ってる中堅世代、子育て世代などすべての人間が生きていく上で、それぞれ表現行為、表現活動をどういう風に感じ、生きることを楽しくし、また辛いことも考え方次第でクリエイティブに面白くする工夫があるんじゃないかな、と考えてやってきました。つまり、「人間の成長発達に芸術はどのようにかかわるのか」というテーマです。

人は生まれてすぐから人間なのではなくて、人間になっていくと言うか、プロセスがあるなあという気がします。人は、アートすることと、人間になっていく、あるいは成長することが非常に密接な関係であって欲しい。その時に、子供性、子供心を忘れずにずっと持ち続けているということができるといいなあと思います。また、発達というのは変化というか、変容という側面があって、何か表現したいという欲求は、日々、新しく生きてるような気持ちや感覚の上にあると思います。

見ていただいている冊子には、こども芸術学科のフィールドワークが記録されています。こども芸術学科が始まる同時期に、「アート」と「ケア」が出会うという学会「アートミーツケア」学会が立ち上がりました。その中に、いくつか障害者の人たちといっしょに行った活動があります。

ぼくが接してきた障害者は一部ですけど、何かができるできないじゃなくて、そこでそういう風に生きてることが、何かすごい価値があると、ぼくは思うようになりました。つまり、生きていること自体が、世間に身を晒してる、世界に投げ出しているわけだから、もう既にそれが表現であると思います。また、生きてるということが、それはそれで何か表現しているような気がします。

「表現」という言葉には「表わし」と「現れ」の二つの意味が含まれています。表そうという気持ちと「現れ」との間には、対話、あるいはキャッチボールと言えるような相互作用が働く。そこには、画面と向き合う濃密な時間や場、思いの交錯、共振が存在する。表わそうという気持ちの動きが動機となり、こんな風に現れてきたというような結果、もしくは途中、作業をしながら、無意識的なものをも含めて作者もいろんなことに気づき、現れてきます。また、本人の自分という意識を超えた何処かからやってくる現れは広がりを持っています。

本冊子の「おわりに」という節に、ぼくとしての思いを書きました。

「障害者の存在は、人間の成長・発達とは何かを問う大きな契機と課題を投げかけてくれた。同時に、「こども」という心性に気づかせてくれる存在でもあった。多様性や価値観の多文化性など、芸術とは何かという心性にも大きな課題を投げかけてくれる。

芸術が、自然や精神性、時代性や社会性などとの関わりを通じて、その幅を広げ自由と幸せの領野を切り開いてきたとすれば、『こども芸術』は、人とのかかわりの芸術を切り開くものであってほしいと願っている。」

1970年後半から80年代にかけて、現代アートなど、とても難解になってきて、理論がわからないと芸術がわからないというような風潮も出てきました。そんな中から新しく「少年アート」というような概念も出てきました。そこには少年特有の、シャープな感受性と、表現したいものをぶつけるというような提案があって、アートシーンからも「確かになあ」っていうダイレクトな反省の声が出てきました。最近、そういう意味で出てきた「エイブル・アート」とか「アウトサイダー・アート」とか、こういう「アール・ブリュット」を初め、大きく芸術シーンを揺さぶる動きが出てきています。また、最近、ぼくらはシニアの世界に入ってきていますが、「シルバー・アート」というのがあるんですね (笑)。

アール・ブリュットも、そういうシルバー・アートも少年アートも、全部、共通性があるな、という風に思っています。それは生きるっていうことに初心だというか、新鮮な気持ちで日々を迎えるというか、絶えず喜びや楽しみを見出そうと言うか、そういう衝動的なものです。内発的、自発的な衝動と言うか行為に、表現っていうのは繋がっているんじゃないかなと思っています。子供の落書きみたいなものでも、どんなものでも大事にして欲しいなと。それはその時でないと描けない線なのです。

3歳児が塗りたくったような線、「何これきたない、何がかいてあるかわからん、って言わんといて」みたいな (笑)。「面白い線、この線は描けへんで」みたいな、そういう気持ちを日々の暮らしの中に、受け入れてもらえたらなという気持ちです。ま、こんなところかな。


なお、本ブログの内容は、公開後、修正・加筆があり得ますので了承ください。
文責: 岸田良朗 (本ブログ編集担当)

冊子「福祉 × アートの出会い」

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